1987年からはじまったバサーオールスタークラシック。36回の歴史のなかでさまざまなことが起きた。この連載では歴史や裏話など、オールスターにまつわることをさまざまな角度からお伝えしたい。第4回は赤羽修弥が史上唯一の三連覇を果たした2008-2010年を振り返る。
text & photographs by Basser
それは2008年にはじまった。 この年、W.B.S.でAOYを獲得した赤羽修弥はその流れのままオールスタークラシックを制した。鉛のバレットシンカーにブロンズ色のストレートフックを合せたテキサスリグが静かな迫力を放っていたのをよく覚えている。その勢いは翌年以降も止まらず2009年、2010年と赤羽はオールスターを連覇。結果的にオールスター会場が利根川に移る2011年まで誰も赤羽を止めることはできなかった。
あれから15年。すべてが計算通りに見えたあの3連覇を本人はどう解釈しているのか。返ってきたのは意外な言葉だった。
赤羽「あれから15年か……。あの出来事のことはよく聞かれるし、自分でも振り返ることがある。全然計算通りなんかじゃなくて、3年ともそれぞれ奇跡っぽいことが起きてるんだよ」
まず2008年。赤羽は石田エリアで3匹をキャッチしているが、それはまったく期待していない「寄り道レベル」の場所だったという。2日目はリミットメイクに失敗したが周りも崩れての優勝だった。
そして2009年。この年は初日に5匹で5360gを釣りトーナメントリーダーに。連覇に向けて万全の滑り出しに見えたが、2日目は今でも吐き気を思い出すほど辛かった。
赤羽「初日は完全に計算通りに釣れたんだよ。桜川の沈み物で揃えて、本湖のシャッドで入れ替え。完璧だった。でも、2日目は思うように釣れなかったんだよ」
7時台に中流の沈み物をネコリグで舐めて2匹を釣った赤羽だったが、その後はアタリが尽きてしまう。上流にも向かったがレンタルボートとオカッパリが多く釣りにならず、11時まで追加することができない。赤羽はすがるような思いで下流のハンプに向かった。そこにいたのは恩師でもある吉田幸二だった。
赤羽「当然入れない。ここで万策尽きた感じだった」
そういった経緯から赤羽は中流の沈み物で粘るしかなくなった。困り果てた結果の選択だったのだ。すると2匹目から4時間近くあいた11時19分に3匹目が来てくれた。そのとき、赤羽は「苦しい。吐きそうだ……」という言葉を残している。しかし、その後はバイトの波が訪れた。3連発でリミットメイクに成功したのである。結果は逃げ切りだった。
赤羽「吉田さんがいなければ釣れてなかったと思う」
3連覇をかけた翌年も主戦場は桜川だった。初日はネコリグのパターンが機能しリミットメイクに成功し3570g。しかし周りが想像以上に釣れていた。清水盛三が4750g、川口直人が4700g、江口俊介が3790gを叩き出し赤羽は4位。
赤羽「これはキツいなと思ったね。霞ヶ浦のピンスポット系の釣りだと基本的に2日目はサイズが落ちる。初日にこれだけ差をつけられたら逆転は厳しいと感じた。でも、オレにはそのパターンしかやることがなかったんだよ」
その2日目は不思議なことが起きた。桜川の沈み物でネコリグを襲うバスがことごとく1kgフィッシュだったのだ。
赤羽「2日目は間違いなくウエイトを落とすと思ってた。なぜそうなったのか、いまだによくわからないんだよね」 当時のコメントがずっと胸に残っている。
赤羽「ねらって勝てるトーナメントではないので、勝てたとすれば、自分が成長したのかなと思います」
誰も赤羽を止められないのでは……。そんなふうに言われる完璧な連覇劇だった。しかしそれは傍から見た話。実は小さな奇跡の積み重ねで達成された偉業だったのだ。